カルクトーが「死を賜る」という表現を用いた時、1930年代は明確に終わった。
1939年、カルクトーはルクセンブルグにて詩篇「ガレリア」において「死を賜る。全てのうつくしい物が死を賜る。嗚呼、幻想がやって来る。競技の時間は終わる。さあ、凱歌を歌え。彼らは喉もとを掻き毟り迫るだろう」と記した。それは丁度1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を評したものであったとされる。カルクトーはこの闘争に於けるナチスドイツの勝利を悲しいまでに確信していた。イギリスとフランスの敗北を、カルクトーは諦観に似た言葉で評している。
「カリスト、確かな正義は其処にある。其れ故に倒れるのだろう。善王の死は確約だ、世界を覆うべきは慈愛に満ちた白い翼ではなくルキフェルの12枚の黒く大きな翼だ。」
それは抑圧を渇望する人間の弱さ、第三者たらんとする精神への警鐘として小さく、そして確実に鳴り響いた。カルクトーは後に言の葉が持つ力の「ある意味での弱さ」について言及する事になるが、この当時は本人も認める様に言の葉の力を盲目的に信じていた。「一度だけ応えたんだ、一度だけ応えたんだ」と処女の様に取り乱すその言の葉は、同時に時代と云う風を得た詩人としての悲しいまでの反応であった。
だがその時代の風は矢張りカルクトーに向けて吹く事はなかった。あたかも既成事実の様にポーランド侵攻は成功し、カルクトーは命からがらにルクセンブルグから脱出することになる。
「車中の悪魔、馬頭が打ち倒す。軍靴のケイオス、踏み躙るマリア。月光が鳴り響き、哀悼が満ち溢れる。世界は緩慢な自我崩壊の果てにネオテニーを果たすのだろう。恐らく。」
これが1940年発表の「貴腐ワインのダンス」の末尾を飾る言葉だ。この言葉はカルクトーの呪詛に満ちた叫びだ。これ以降、幾たびかカルクトーがルクセンブルグを評する際に「ウィル」という言葉を用いる事になる。
「『ウィル』新しい言葉だ。貴方たちはやがて私に気付くだろう。だがその時に私はいないだろう」
上記の一節は「まぼろしの世界」よりの引用であるが、この作品はカルクトー最大の駄作として認知される事になる。全てを否定し、呪詛を吐き出す事に疲れ果てるまで、驚くべき事にカルクトーは3年の月日を要した。
そして、3年後、彼はヒューゴー・ガーンズバックと出会う。
1939年、カルクトーはルクセンブルグにて詩篇「ガレリア」において「死を賜る。全てのうつくしい物が死を賜る。嗚呼、幻想がやって来る。競技の時間は終わる。さあ、凱歌を歌え。彼らは喉もとを掻き毟り迫るだろう」と記した。それは丁度1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を評したものであったとされる。カルクトーはこの闘争に於けるナチスドイツの勝利を悲しいまでに確信していた。イギリスとフランスの敗北を、カルクトーは諦観に似た言葉で評している。
「カリスト、確かな正義は其処にある。其れ故に倒れるのだろう。善王の死は確約だ、世界を覆うべきは慈愛に満ちた白い翼ではなくルキフェルの12枚の黒く大きな翼だ。」
それは抑圧を渇望する人間の弱さ、第三者たらんとする精神への警鐘として小さく、そして確実に鳴り響いた。カルクトーは後に言の葉が持つ力の「ある意味での弱さ」について言及する事になるが、この当時は本人も認める様に言の葉の力を盲目的に信じていた。「一度だけ応えたんだ、一度だけ応えたんだ」と処女の様に取り乱すその言の葉は、同時に時代と云う風を得た詩人としての悲しいまでの反応であった。
だがその時代の風は矢張りカルクトーに向けて吹く事はなかった。あたかも既成事実の様にポーランド侵攻は成功し、カルクトーは命からがらにルクセンブルグから脱出することになる。
「車中の悪魔、馬頭が打ち倒す。軍靴のケイオス、踏み躙るマリア。月光が鳴り響き、哀悼が満ち溢れる。世界は緩慢な自我崩壊の果てにネオテニーを果たすのだろう。恐らく。」
これが1940年発表の「貴腐ワインのダンス」の末尾を飾る言葉だ。この言葉はカルクトーの呪詛に満ちた叫びだ。これ以降、幾たびかカルクトーがルクセンブルグを評する際に「ウィル」という言葉を用いる事になる。
「『ウィル』新しい言葉だ。貴方たちはやがて私に気付くだろう。だがその時に私はいないだろう」
上記の一節は「まぼろしの世界」よりの引用であるが、この作品はカルクトー最大の駄作として認知される事になる。全てを否定し、呪詛を吐き出す事に疲れ果てるまで、驚くべき事にカルクトーは3年の月日を要した。
そして、3年後、彼はヒューゴー・ガーンズバックと出会う。
# by birdbirdbirds | 2007-05-29 19:13








